エミ&マリの四国・紀伊半島を巡る自転車の旅 (パート2/2)

11月15日 本州へ渡る大事な日 

( 77 km / 標高差300 m )

今日はフェリーに乗って紀伊半島へ渡る大事な日。自転車で和歌山から紀伊半島を回って、最終的には京都へと戻る予定なのだ。
宿主のアドヴァイスに従い、徳島港からフェリーに乗ることにする。宿から22キロほど走って港に着くと、我々自転車組が一番乗りだ。係員がしっかりと自転車をベルトで固定してくれる。私達は客室に乗り込み、2時間余りの船旅を楽しむことになる。


快晴の空の下、船揺れもほとんどなく正午過ぎにフェリーは和歌山港に到着。 これから日高町の宿まで55キロあまりの距離だけれど、冬は陽の入りが早いのでフェリーから降りてすぐに走りだす。しかし和歌山市は広い街なので、予定していた道路を見つけるのにけっこう手間取ってしまった。まして、海岸沿いの道路には大型トラックばかりが走っているので、自転車で走るのは快適とは言い難い。
ようやく走り易くなったのは、目的地の20キロ手前からだった。それまでは大型トラックを避けるために歩道を走ったりしたので、平均速度は余り上がらなかった。目的地に近づいてきたら、右手に海を見ながらいくらか気楽に走れたものの、「安全」とは言えなかった。そして否応なく陽が沈んで行く。未知らぬ土地で陽が暮れてからのサイクリング(それも結構な荷物を積んで)は快適とはいいがたい。こうなったら宿までコントル・ラ・モントル ( タイムトライアル ) のような気持ちでスパートだ~。


がんばってペダルを踏んだものの、陽がとっぷりと暮れてから宿に到着。 宿主が「隣町にある温泉にはいって疲れをとったら?」と言ってくれたので、彼の運転する四駆に同乗して、海からさほど遠くない山の中の温泉に出かける。温泉にどっぷりと浸かって疲れを取ってからの帰り道は、四駆の中でイルカの「なごり雪」(日本語の歌も少しは覚えているのです・・・) など日本の歌を歌いながら帰途につく。
宿に戻って部屋に案内されてビックリ!伝統的な日本の住まいの部屋で、どうやら屏風の絵は手書きらしい・・・。まるで江戸時代にタイムスリップしたかのように、お姫さまになった気分で熟睡する。

11月16日 日本のギリシャとカリフォルニア 

( 60 km / 標高差 400 m )

昨夜は外が真っ暗になってから宿に着いたので、今朝になって改めて泊まっている宿の様子を探る。朝食をとりながら宿のオーナーと話をすると、どうやら2年前に海の見えるカフェを開いたとのこと。そして彼らはジャズのファンで、「クールな生活」が信条らしい。まぁ、カフェの内部の雰囲気が彼らの趣味をよく表していると思う。飼い猫達も、暖かいカフェに入ろうとしたりしていて茶目っ気がある。

この宿はいくつかの建物で構成されていて、そのうちの一つには百才に近い祖母が住んでいる。私達もこの祖母と日本語で少し話をしたのだが、話の最後になって彼女はようやく私達が日本人ではないことに気がついたようだった。たぶん彼女は気がつかなかったと思うけど、この事は我々のエゴを大いにくすぐったのである。そんなことに気をよくしながら一日が始まった。

そうこうするうちにオーナーが「昨夜すごく景色の良い所を通ったのだけど、暗くて何も見えなかったから、今朝天気の良い時に行ってみたらどうですか」と言うので即決、荷物は宿に残して自転車で20キロ余りの大引方面へのランとなった。自転車で走ってみると、海岸線の景色はまるでギリシャのようなのでビックリ!こんな素敵な寄り道なら、いつでもやってみたい。

朝ランを終わって宿に戻り、荷物を積んで宿に別れを告げ、これからひと山越えて御坊を通過し、目的地の南部を目指して海岸線の道を走る。道路脇には温室が林立し、海岸線には椰子の木が並んでいる景色はまるでカリフォルニアだ。
日没ちょっと前に南部にある宿に到着。ここのオーナーはレストランも経営していて、宿には6つの部屋がある。宿泊施設は最近改修されたばかりなので新しく、お風呂場もピッカピカなので、ドブーンとつかって汗を流す。
食事は近くのコンビニで仕入れてきた「麻婆どうふ」で、ママにとっては新たな発見のようだった。ただ、彼女にとってはちょっと辛口のようだったようだけれど。

11月17日 白浜半島を目指して 

( 60 km / 標高差 350 m )

ここの宿のオーナーは料理屋も経営しているので、それに甘えてしっかりとした和食の朝食をとる。そしてママはと言うと、コーヒーを飲まないと調子が出ないので、コーヒー作りを手伝ってやる。

燃料タンクが満タンになったので、白い砂浜のある観光地として有名な白浜半島へ向けて走り出す。日本の海岸線は、津波からの防御を考えているのか、砂浜は少ないけれども、ここは細かい砂の砂浜だ!おまけに近くには「アドベンチャーワールド」と言うテーマパークがあるので世界中のツーリストが訪れている。この砂浜でアイスコーヒーを飲んで小休止。おりしも、中国人観光客と思われる人達が周りの景色などは全然見ないで、写真をバチバチ撮っているのを目のあたりにする。

さて長居は禁物、これから地形的に珍しい千畳敷を目指して走りだす。そして、かつては海賊の目印となってたと言われる三段壁の断崖も見たい。途中女性サイクリストのグループに出会う。その中の一人は、かつてフランスで働いていたそうで、ちょっと話し込む。別の女性は我々のエネルギーとなるように飴の差し入れをしてくれた。どういうわけか、走ってる最中に会う人は我々に飴をくれたがるようだ。(笑)

このちょっと観光地すぎる場所から速やかに離れるべくペダルを踏み込む。しばらく走ると、ほとんど忘れられたような浜辺に着いた。早速フロントバックからおにぎりを取り出し、冷えたカルピスも添えて昼食にする。もう少しノンビリしたいなぁと思ったけれども、今日の宿はまだ遠いのでサドルにまたがる。昨日のように真っ暗になってから宿に着くのはもうコチゴリだから。
それでも宿主は我々の到着を心配して道路脇で待ってくれていた。今日はこの宿には私達2人しかいない。港で夕焼けの写真を撮り、夕飯を済ませ、それからテレビで相撲の実況中継を少し観て、今回は畳の上に布団を敷いて就寝。

11月18日 串本を経由して新宮まで 

( 72 km / 標高差 200 m )

今日の天気は不安定で、午後には雨と言う天気予報。と言うわけで今日は朝早く出発して、雨の降る前に新宮につこうという腹づもりである。まぁ、それでも串本の地理的に興味深いところではちょっと時間をとって見学したのは言うまでもない。

走っている途中にタイミングよく自転車店が目に入った。ちょうどテールライトが外れたばかりだったのだ。この自転車屋の店主は自身がシクロキャンパーらしく素敵なランドヌーズも何台か所有している。そんな彼の事だから、私たちのGBマークの自転車を目の前にして、憑かれるように眺めていた。いろいろと話す事はあったけれど、どうも雲行きが怪しいので自転車にまたがると、彼は我々にオレンジと飴を補給してくれた。

不思議なことに新宮に近づくにつれて雨雲が遠ざかっていくようだった。そこで早速町の入り口にあるフードコートで昼食。宿には午後2時に着いたが、ここの宿主は10年間パリの日航ホテルで働いていたそうだ。そういうわけでフランス語も流暢に話した。現在、彼は午後4時から朝の4時まで働いているのだそう。そして熊野の寺院の中でも3大寺院の1つである熊野速玉大社を見学したほうがいいよとアドバイスしてくれたので早速出かける。この神社は最近大修理を施されたので新築のような感じがするが、なんでも創立は12世紀なのだそう。神社の見学を終わると大雨が降ってきそうな気配である。急いで宿に戻り何とか滑り込みセーフ。おいしい夕食で空腹を満たし、早目にベッドインする。

11月19日 神宮から尾鷲まで 

( 65 km / 標高差 600 m )

今日は朝から曇天で、強い風が吹いているのでどうもおもわしくない。おまけに向かい風なのだ!自転車にはフロントバックとパニアバックをつけているので風の影響を受けやすい。そして右側を追い越して行く車のほうに飛ばされないようにと、ハンドルをしっかりと抑えていたら手がしびれてきた。そんな状態で海岸線を走り続けたら、ようやく熊野に着いた。強風に雲が吹き飛ばされて青空に迎えられる。「ライオン」を見るために一時停車。

それからちょっと走ると目の前にトンネルが現れてきた。入り口に自転車通行禁止とある。しばしママと友達のGoogleと一緒に首脳会談。結局これからはGPSを使うのをやめ、上りと下りの量が増えるかもしれないけれど海岸沿いの道路を走ることに決定。そしてこの決定は最良のチョイスと言うことが後でわかった。何故かと言えば、この海岸沿いの道路は景色もパラダイスみたいだったし、自動車は全然通っておらず、私達の自転車専用道路みたいだったのだ。

ただ問題もなくはなかった。というのは途中通過する村村には食料品店が全然なかったからだ。「今日は昼食抜きかなぁ〜?」と悲観的になっていたら、突如寂れた村の中に家族経営風の小さな食料品店が現れた! いろいろと買い物をしていたら、私たちの荷物満載の自転車に興味を抱いて近所の人たちが集まってきた。私たちはまるで動物園の中の鑑賞動物のようである。
買い物を済ませ自転車にまたがり、今度は眺めの良い休憩所探しだ。長い坂道を登りつめたら、そこにはちゃんと長椅子が2つ備え付けてあった。そして、そこからの眺めのなんと素晴らしかったこと!

昼食後再び走り出すと、相変わらずのんびり走れり道路傍に猿が見えたり、海の素晴らしい眺めがあったりと、いたせりつくせりの感があった。

そうしてようやく目的地の九鬼と言う漁村に到着する。ここの宿は本当に住民の住宅の1室で、オーナーの飼っている2匹の猫がお供である。

11月20日 海岸線を走り切り、山岳地にアタック 

( 75 km / 標高差700 m )

今朝は朝早くから走り始める。と言うのは結構な荷物を積んだ自転車(私のは総重量40キロ弱)で山岳地にアタックするからだ。もちろんゆっくり着実に坂を登っていく心積もり。まだ太陽がしっかりと村を照らしてくれていないので肌寒い。そして、すぐに長いキツイ坂道が私達を待っているのだ。心拍数は直ぐに上がり、汗も吹き出してくる。なにしろ5キロに渡って12%の勾配なのだ!もっと楽な坂道もあったな〜、などと今まで走ってきた坂道を思い出しながらペダルを踏む。なんとか坂の頂上にたどり着いたら、とても素晴らしい景色が眼下にひろがっていることか。

緑に囲まれた山の中を走るのは簡単ではないが、着実に進んでいく。

そしてある時、海沿いに大台方面へ向かう道路があるのが目に入ってきた。こういうところを走らなきゃあ、と思って早速その道のほうへ向かう。

しばらく走ると雲行きが変わり、寒さが増してきて時々突風も吹き始めて来た。
これは急いで大台に着かなければいけないなと判断して、ペダルに力が入る。昼食はコンビニの駐車場の風がこないところで素早くすませる。
その後も割合広い道路を風に翻弄されながら走り続けると、ようやく大台の町にたどり着いた。宿に着く前に、あらかじめ食料品の買物をすませておく。今日の宿は日本一綺麗な川だとういう評判の、宮川のすぐ脇にあるところ。そして今日も宿泊客は私達2人だけだ。

11月21日 大台から津へ向う 

( 65 km / 高低差450 m )

今日は大台から北上し、徐々に京都に向かって行く日。天気予報によれば、今後天気は崩れ傾向なので、大事な自転車と荷物を汚したくないので、できれば雨が降る前に京都に着きたい気持ちだ。
と言うわけで今日の終着点は津である。もう海岸線とはお別れして内陸を走るわけだが、途中お茶畑があったり、花畑があったり、いくつもの美しい川に沿って走った。ラッキーなことに太陽がまだ我々の味方をしてくれたので、あまり変化のない道でも何とか走れた。

途中GPSのトラブル(橋のない川を渡れとか、鉄道線路を横横切れとか・・・)はあったものの予約しておいた宿にたどり着く。場所は伝統的な建物のある村なのだが、宿のオーナーは日本/フィリピンのカップルである。そしてこの宿では、子供たちと一緒にお好み焼きの作りかたを教わった。子供たちとの応対で気を使ったりして疲れたので早めに就寝する。ともかく明日はまた山岳地を越えなければいけないのだ。

11月22日 山岳地から忍者の町へ、そして再びGPSのバグ

( 80km/標高差 1500 m)

今朝は寒いし空は灰色、でもまだ雨は降ってこない。今日は山越の日なので、朝早めに出発する。GPSによれば、交通量の少ない静かな道路があるのだ。走り始めるとすぐに勾配がきつくなった。こうして600メートル登るのだが、この一つ坂で今日一日のほぼ半分の高低差をこなすことになる。途中とても大きな鳥居の下をくぐりぬけた。まるでフランスの第一次大戦の激戦地 Verdun にあるモニュメントのようだった。そして坂道が続くのだが、なんとなく周辺が砂漠風になってきた。そして道路は通行止めになっている。おまけに、そこで工事をしている作業員が私達に向かって、「この道路はここで通行止め」と言っている。ジャジャジャジャーン、またしてもGoogle Mapsのバグだ!ここまで600メートル余りの高低差を登ってきたけど、また戻るわけ〜??ジョーーダンでしょうーー?。私はもうがガクッときているけど、ママはどういうことかいつものように落ち着いている「今まで走ったのは暖気運転だったわね。それにこんな珍しいモニュメントも見ることができたのだから。」でも私はどうしてもGoogleのバグが納得できなかったので、罵るばかり!だって腿はパンパンだし、力はなくなってきたし、それでもこれから降ってまた別の道を探さなければならない。見つけたもう一本の道路は大型ダンプばっかり走っていて、トンネルもいくつもあった。そして永遠に続くような気がした。それでも何とか峠の頂上にたどり着き下り坂を5キロほど走ったら、寒くてどうしようもなかった。そんな折タイミングよくコンビニがあったので小休止。この店でホットココアを頼んだら、これがまた美味しかった。体も暖まったし最適な飲み物だった。
再び自転車にまたがり、忍者の故郷といわれる伊賀の町まで走る。町に着くとそれほど魅力のある場所ではないと感じたので長居は無用。川沿いでお弁当いただいて山岳地を目指して再出発。

今晩の宿までの道は一本しかない。そしてこの道路は交通量が多いのだ。そんなわけで、離れ離れにならないように2人まとまって走り続ける。そしてようやく今日の宿に到着。この宿は結構大きな家だけど、宿泊者は私たち2人のみだ。宿のオーナーは優しい人で、自転車で走ってきた私たちに地元産のオレンジとりんごを持ってきてくれた。夕食はありあわせのもので済ませる。なぜなら周辺にはお店のようなものは何もなかったのだ。

夜になり部屋の中で、午前中に苦労したあの坂道と、遭遇したモニュメントが何だったのかが気になって調べざるを得なかった。そうしたら、あのモニュメントは宗教団体主導の戦没者墓地と言うことがわかった。ママも驚いた様子だった。

11月23日 京都への帰還 

( 50km / 標高差 800m )

いよいよ今日は自転車で走る最終日。当初の予定よりちょっと短縮気味だが、何と言っても今後の天気予報があまりおもわしくないのでしょうがない。走る距離は短いけれど、高低差は結構ある中身の濃い一日だ。

私達が自転車で走る最終日と言うことを空もさとってくれたのか、太陽も顔を出してくれる。やはり青空の下での自転車は快適だ。走る道路の方は、美しい山とお茶畑の繰り返しで心はずみ、ペダルに力が入る。

ある峠の麓で買物のために止まった小さな店では、結構年齢のいったおじいさんが私たちにお茶とサツマイモをサーヴィスしてくれた。もちろん私達に力をつけるためだが、これがその後とても助けになった。なにしろ登り始めた峠の勾配は15%〜20%ほどあり、3キロに渡り続いていた。本当に手強い、力の必要な坂道だった。

最後の京都までのアプローチはわりあい楽な道だった。折しもこの日は勤労感謝の日なので、街中に人がたくさん出ており、自転車で通過するのが難しい場所もあった。宿はほぼ街の中心部にあったので、まずは自転車を止めて荷物を外し、私達はシャワーを浴びる。体も気分もさっぱりしたところで、今度は自転車の返却に出掛ける。宿からGrand Bois の店までは10キロほどの距離なのだ。店に着いて、土屋夫妻に無事自転車を返却して、夕食を共にする。
湯気の出る美味しいラーメンを食べてから、宿へとUターンする。今まで自転車で走ってきたところの風景が頭の中を走馬灯のように流れていく。私たちの日本旅行はこれで終わったわけではなく、フランスに戻るまでにあと10日間残っているのだ。

尾灯(テールライト)

今回の旅行を通して様々な体験ができたので、これからもその時の思い出が時折よみがえってくる事は間違いないと思う。そして今回活字にはできなかったいろいろな逸話もあるのだけれど、それはキャフェにでも入ってビールでも飲みながら・・・
結論のようなものとしては、年を重ねてきたとはいえ、改めてママの元気さを見直して、誇りに思うほど。彼女は本当に冒険好きのサイクリストだ!なので、私もその血筋をいくらか受け継いでいると思う: 「蛙の子は蛙」と日本では言うらしいから。私も歳をとって、ママと同じ様なパワーを持ち続けることができたらいいなと思う。
ひと月余りの旅行と言うのはチョット長いし、誰でもそんな時間が取れるわけではないけれど、旅行中は時間がとても早く過ぎていった感じがする。たぶん、古い日本のことわざ「旅は道連れ世は情け」というのが今回の旅行のライトモチーフだったのかもしれない。


私たちの旅行に付き合ってくださって

« Merci et gros bisous! » 。

Emi

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